松井秀喜氏 × 球活女子大生アンバサダー

球界のレジェンドが、子供~学生に伝えたい、野球への思い

 

甲子園の怪物、巨人やヤンキース等で日米通算507本塁打など、松井秀喜を総称する言葉の多さ以上に、そのどれもが桁違いのスケールであることに驚く。国民栄誉賞、そして43歳7ケ月、史上最年少での野球殿堂入り、そんな偉大な球界のレジェンドに取材させていただいたのは、球活アンバサダーとして活動を続けている大学生の皆さん。松井さんが読売ジャイアンツに入団した1993年、この年にはまだ誕生さえしていなかった大学生の皆さんも「数多くの伝説を両親から詳しく聞いています」とのこと。松井秀喜さん自身が代表理事を務めるNPO法人「松井55ベースボールファウンデーション」が主催した野球教室の後、ジャイアンツ球場(川崎市)にて、松井さんに貴重なお話しを聞かせていただきました。

梨子本朱里

「まず私から質問させて頂きます。松井さん、野球殿堂入り、おめでとうございます。松井さんが高校時代、もしくはプロに入られたとき“殿堂入り”という言葉に、どのようなイメージを持たれていましたか?」

松井秀喜さん

「いい質問ですね。う~ん、どう、答えたらいいかな…(笑)。野球殿堂って、みなさんが思う以上に私にとって、あまりにも遠い存在すぎるんです。だから、考えていませんでしたね」

梨子本

「ご自身が本当に野球殿堂入りできるの?というお気持ちであったということですね?」

松井秀喜さん

「自分がプロ野球に入るときには、野球殿堂入りということは全く考えていませんでした。それだけ(殿堂入りというのは)野球人として最高の栄誉、それが本音です」

梨子本

「松井さんがプロ野球の世界に入ったとき、こういうすごい選手が殿堂入りするんだ…と思われた選手はいますか?」

松井秀喜さん

「その頃はどういう方が殿堂入りされているのか、そういう知識があんまりなかったですね。もちろん、野球殿堂という言葉は知っていました。プロ野球の世界に入ってから、初めて、少しずつ知っていきました。私がプロ野球の世界に入ったときは、まだ王さんも殿堂入りされていなかったんです(1994年のオールスターゲームに松井秀喜さんが出場。第1戦の試合前、野球殿堂の表彰式があり王貞治さん等が殿堂入り)。王さんが殿堂入りされたときのこと、今でも覚えています。今回、私が野球殿堂入りができましたが、まだ(私は)若いですから(笑)。これからも野球界のために尽力していきたいです」

梨子本

「そもそも松井さんが野球を始められた、きっかけについて教えていただけますか?」

松井秀喜さん

「きっかけは、私に兄がいまして、その兄が野球をやっていたので自然と、兄の影響がかなり大きいですね。いつも週末になると、父がキャッチボールに付き合ってくれました。父と兄、そして私の3人でキャッチボールしたこと、懐かしいな。幼い頃にしていた野球は、楽しい思い出ですね」

塩見珠希

「先ほど、野球教室で多くのお子様たちに野球を教えられていたのですが、松井さんは、ご自身のお子様と一緒にキャッチボールをされたりすることはあるのでしょうか」

松井秀喜さん

「う~ん、実はね、まだないですね」

塩見

「そうなんですね。先ほど、お子様たちにとても優しくお声がけをされていたので、松井さんのお子様にも、優しく教えるなどしているから、野球教室でもお子様たちへの指導が慣れていらっしゃるのかなと思いまして」

松井秀喜さん

「いやー、自分の子供には野球を教えるとか、していないですね。まだ5歳なので…あんまり興味を持っていないのかな? う~ん、興味がないみたいです(笑)。そもそも、自分の子供だと、あんなに優しい声を出して野球を教えることができるのかな、ないな、多分(笑)。ついつい私の野球への思いが強くて、罵倒するまではいかないけど、かなり厳しく教えることになるかも(笑)」

塩見

「私から見て、松井さんのイメージとしては、お子様が“野球を始めたい”と言ったら、一緒にグローブを選んだり、一緒に野球道具を買いに行かれるイメージなのですが」

松井秀喜さん

「子供のグローブなどは、確実に買いに行くと思いますね。やっぱり自分が野球をやっていたので、いろんなことを教えてあげたい、その思いは強いんですよ。でも、何より優先されるのは“本人が野球をやりたい、上達したい”そういう意思がないと…無理にやらせても、なかなか難しいと思う」

塩見

「松井さんのお子様の自主性にまかせるということですね。でも、野球をやりたいと言われたら…」

松井秀喜さん

「いつか、子供が“野球をやりたい”そう言ってくれたら…つい嬉しくて、いろいろ手伝いをすることになると思いますよ(笑)」

塩見

「道具といえば、松井さんご自身の道具に対するこだわりがありましたら、教えてください」

松井秀喜さん

「かなり、道具に対しては、こだわりがありましたよ、現役の頃は。バット、グラブ、スパイク、特にこの3つは、メーカーの担当の方と、とことん話し合っていました。プロの野球選手ですし、そのプレーを見にきていただいているのですから、できる努力は全てやっていました。道具はグラウンドで、実際に野球をするときに重要でもあるので、とことんこだわっていましたね」

塩見

「やはり道具を手入れするなど、大事にされていたのでしょうか」

松井秀喜さん

「もちろん、手入れは、とことん、ちゃんとしています。道具って、本当は心はないんだけど、もしかしたら…心があるんだと思って、いつも接していました。そうすれば、試合のとき、試合を左右しそうなギリギリのプレーのときに、道具が助けてくれるんじゃないかなって。そういう気持ちで接していましたね」

引田望月

「次は私が質問させて頂きます。球活アンバサダーとして、お子様たちと野球をすることがあります。できればバッティングも、教えられるようになりたい、そんな思いから最近、大学の友人とバッティングセンターに行ったりしているのですが…難しくて…。私のような初心者や、これから野球を始める方たちに、コツを教えていただきたいのですが」

松井秀喜さん

「バッティングのコツですか…単にボールを、バットで打つ、それだけですが…常に打てるようになるのって難しいですよね。もしコツがあるなら、当たり前ですが、ボールをよく見ることですよね。見えていないと打てないですから。ボールを見る、これも相手の投手のレベルに応じてポイントが変わるのですが…。あとは、そうですね、どう当てるか(笑)」

引田

「松井さん、それがわからなくて、私、困っています(苦笑)。今日、お子様たちとの野球教室のとき、松井さんが柵越えのホームランを打たれていて、あんなふうに打てたらいいなぁ~と思ってみていたんです。どうバットに当てるのか、教えてください」

松井秀喜さん

「そうですよね、困っている感じだよね(笑)。もちろん、打撃において、これって究極のことなのですが、要するに、どう当てるかって、自分がどこを振っているのか、それがわからないと、いけません。ボールが打者に向かってくる、ボールが来たときに、例えば高いのか低いのか? 高いコースへボールがきた、その瞬間、自分が高めを振っている認識がないと当たらないのは、当たり前ですよね。自分で振って感覚をつかむ、これが重要です」

引田

「私を含め、これを読んでくださる方に、そのためには、どんな練習をしたらよいかアドバイスを…」

松井秀喜さん

「一番いいのはティーバッティングをすること。そうすれば、どこらへんを打っているか、見てわかるから試して欲しいですね。そこから練習するのがいいと思います。いきなり動いている球を打つのは、女性には難しいと思います。ちゃんと当たります?」

引田

「いいえ、全然(笑)。50km/hなら何とか…でも80㎞/hくらいになると難しいです」

松井秀喜さん

「最初は当たらなくて当然だと思います。野球論を言い出すと、打撃はミートポイントを投手寄りにしてとらえにいくのが基本とか言いますが、動くボールが主流の今、いろいろと考えないといけない。でも、そういうことではなく、野球って、勝負も大切だけど、ともかく楽しんで欲しい。ボールがバットに当たった、その感激などをたくさん、体験してください」

梨子本

「私たちは、野球の魅力を多くの皆さんに伝えていきたい、それはお子様たちにも野球の楽しさと、野球を経験してもらいたい、そのような思いから活動などをしています。そういう中で、お子様であれ、私たちと同じ世代であれ、教えるということは難しいなって思うときがあります。松井さんがご指導されるときに心がけていることなどがありましたら、教えていただきたいのですが」

松井秀喜さん

「う~ん、相手にどう納得してもらえるか、それは重要ですね。自分が思っていることを、一方的にただ言っていても、なかなか相手の頭や心にスッと入っていかないことが多いと思う。だから相手がどういうことを考えているのか、どういう感覚の持ち主なのか、まずは、この点を把握した上で教えていかないと、いいアドバイスってなかなかできないと思っています。私は、こういう部分に気をつけていますね」

球活女子大生アンバサダー全員

「本日は貴重なお話しを有難うございました。松井さんからのアドバイスを活かして、今後も頑張っていきます。今度、改めて野球の技術などもご指導を頂ければ幸いです」

松井秀喜さん

「もちろんです、また、こういう時間を作りますよ。野球に興味をもってもらえるように、頑張ってください」


松井秀喜さんへのインタビューを終えて

梨子本朱里さん

「今回、ジャイアンツ球場(川崎市)の一室をお借りして松井さんにインタビューをさせて頂きましたが、まず松井さんが部屋へ入ってきたときのこと…一瞬で部屋の空気がピリッと変わったんです。父親から“松井が打席に入ると(東京)ドームの空気を変えることができる、そういうオーラをまとっている凄い選手”と昔から聞いていたので“これが、そうなんだ”と思いました。ただ野球界のレジェンドなのに、偉ぶらない、逆に私たちへの気遣いなど、終始、恐縮でした」

引田望月さん

「松井さんの目を見ながらインタビューをさせて頂きましたが、すごく優しい目でした。お子様たちに野球教室で指導しているときも、笑顔で、こんなに笑う方なんだと思いました。そう思いながらインタビューをしていましたが、打撃のポイントなどを教えて頂いた際、バットを持って、かまえたとき…少し“プロ野球選手・松井秀喜”になったように思いました。取材前、松井さんに関する本をたくさん読みました。才能があるのはもちろんですが、努力の方だと思いました。“努力しなければ人並みにもなれない”と松井さんは発言されています。気迫、目に見えない迫力を常に感じながらのインタビューでしたが、そのどれもが努力の上に成り立っていると思うと、凄い努力家でもある、実際にお話しをしてみて実感しました」

塩見珠希さん

「甲子園での活躍、高津元投手(ヤクルト)からのプロ初ホームラン、MLBヤンキースへ移籍しての第1号満塁ホームラン、ワールドシリーズMVPなど、松井さんをインタビューさせていただく前に、いろいろな資料や映像を見て、松井さんの印象として残っているシーンのどれもが“すごい”ともかく凄いとしか言えない、それが松井さんだと思いました。松井さんが以前、発言された“生きる力とは成功し続ける力ではなく失敗や、困難を乗り越える力です”という言葉が好きです。松井さんの凄さは、途方もない数の失敗や困難を乗り越えた証でもあると、取材後に改めて思いました」


【PROFILE】

松井 秀喜 Hideki Matsui

1974年6月12日(44歳)

星稜高等学校、読売ジャイアンツ、ニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・アスレチックス、タンパベイ・レイズ。2013年に国民栄誉賞を受賞。
現役引退後はニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザー。