野球は自分を一番表現できる場所だと思います:菅野智之

優れた野球人ではなく、立派な人間を育てる。それが野球だと教わりました。

●野球を始めたきっかけは何ですか?

やっぱり家族の影響でしょうね。父親も野球をやっていましたし、ご存じのように祖父も野球に携わってましたから。幼い時から毎日のように父親とキャッチボールをしました。
それで、自然と野球が好きになって、小学校1年で地元の少年野球チームに入りました。

●コーチや監督など指導者に対して印象に残っていることは?

皆さんそれぞれに思い出深く、指導者の方々にはとても恵まれました。その中でも一人を選べと言われれば、やっぱり祖父、原貢ですね。一番影響を受けた指導者だと思います。アマチュア時代に指導を受けた監督の中には祖父の教え子の方もいましたが、指導法には共通するところがありましたね。どういう点かというと、基本をすごく大事にするんです。特にキャッチボールとランニングなんですが、それらは決して手を抜かず、つねに真剣に取り組むよう厳しく指導されました。

●菅野選手にとって野球を通じて得られるものとは?

これは、祖父の教えなんですが、“野球を通じて人間を作る”という考えがあります。優れた野球人を育てるということではなく、人間そのものをしっかりつくり上げるということなんです。それが祖父のモットーだったようで、幼いころからつねにそう教えられていました。
ただ、僕自身がそれを自覚したのは、プロ野球選手として社会に出てからです。やはり学生の頃は野球がうまくなることばかりに必死で、なかなかそういうふうに思える自信も余裕もなかったですね。
でも、社会に出て、祖父の教えを自覚するようになると、野球をやってきてよかったなと思えました。僕はまだまだですが、礼儀とか人に対する接し方であるとかを身につけられましたから。普通に生活していると感じられないことも、野球を通じて感じてこられたんじゃないかと思います。
でも、野球で得たものの大切さが本当にわかるのは、野球を辞めたあとかもしれません。引退したときにあらためて気づかされるのかもしれませんね。

●野球選手として挫折はありましたか?

何度もありました。一番の挫折は高校1年の時です。肩を痛めて1年間ぐらい投げられなかったので、落ち込んで、もうだめなのかなとも思いました。ほんとにしんどかったんで、「野球を辞める」と口にしたこともありました。でも、そこで救ってくれたのがやはり祖父でした。「ピッチャーだけが野球じゃない、バッターとして頑張ればいいじゃないか」と言われたんです。それで、すごく肩の荷が下りたような気がして、気持ちがすごくラクになり、また前向きに野球と向き合うようになりました。

●東京オリンピックでの野球復活に関してはどう思われますか?

現在、野球人口の減少という状況があるなか、底辺拡大を考えれば、オリンピックが東京で開催され、そこで野球の試合が行われるのはすごく意義があると思います。野球が多くの人に感動を与えるスポーツだと、観戦に来た子どもたちが感じてくれるとすれば、東京オリンピックは絶好の機会だなと思います。ですから、僕としては全力で東京オリンピックに向かってがんばっていきたいと思っています。

●菅野選手にとって野球とは何でしょう?

自分を一番表現できる場所だと思います。僕は自分の感情を素直に表すのがあまり得意な方じゃないんですが、野球をしている時はありのままの自分を出せるんです。自分を表現できる場所があるというのは、すごく幸せなことですね。これも野球に取り組んできたおかげだと、ありがたく思っています。


個人年度別成績 菅野智之 – NPB.jp 日本野球機構


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